沿革
松山港は、四国西北部、愛媛県の中央部に位置し、県都松山市の海の玄関口として、古来瀬戸内海航路の要衝を占め、本州と九州を結ぶ交通、産業上、瀬戸内海における重要港の1つとして発展してきた港です。
松山港は、明治21年松山の象徴といわれた坊っちゃん列車の開通、阪神航路の就航などにより、高浜に大阪商船の専用桟橋及び高浜桟橋と埋立護岸、倉庫等が建設され、港としての形態が整いました。
松山港の修築工事は、愛媛県により大正5年に開始され、当初は内港連絡に重点が置かれ、高浜地区、三津浜内港地区の整備を主として実施されてきましたが、港勢の発展に伴い、昭和19年には外港地区の整備に着手し、同26年以降は国直轄事業として推進してきました。この間、昭和15年8月、三津浜町と松山市の合併により、港名を松山港と改称しました。昭和26年には重要港湾に指定され、さらに昭和29年には愛媛県が港湾管理者となるとともに開港に指定されました。昭和35年以降は松山港港湾計画に基づき、今出地区、外港地区を中心に運輸省の直轄事業も含めて港湾施設の整備が推進されました。
その後、背後圏の産業活動の進展に対応して、今日まで今出、吉田浜、外港、高浜の各地区の施設を整備拡充した結果、港勢は年々上昇を続けています。
松山港の背後圏である松山港地域が、平成5年3月のFAZ(輸入促進地域)指定されたことを契機に、四国及び瀬戸内経済圏の貿易拠点の形成を目指し、外港新ふ頭コンテナターミナルなど、大型のコンテナ船に対応する港湾施設の整備が進められています。
 
行政上の港湾に指定された年月日
大正11年 5月27日 内務省調令による指定港湾となる
大正12年 8月23日 公有水面埋立法による港湾に指定
昭和26年 1月19日 港湾法による重要港湾となる
昭和26年12月15日 統計法による甲種港湾に指定
昭和29年 2月27日 出入国管理令による出入国港に指定
昭和29年 3月 1日 愛媛県管理港湾となる(港湾法)
昭和29年 7月 1日 関税法による開港に指定
昭和33年 3月31日 海岸法による海岸保全区域指定
昭和35年10月 1日 検疫法による検疫港に指定
昭和37年 5月15日 植物防疫法による港湾指定
昭和38年 8月 1日 港則法による特定港に指定
平成 8年10月15日 港則法による港域の変更

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